Lesson6 “The Great Sorrow of Guernica”

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ピカソは、原爆投下が自分の国の一般市民に対する残酷な攻撃であったためにショックを受けました。

それに抗議するために、彼は原爆の絵を描くことにしました。

彼は原爆の悲劇を描こうと苦闘しました。

ゲルニカに人々の悲しみを表現しようと、何枚もスケッチを描きました。

大きなキャンバスに描き始めてからも、彼は何度も構想を練り直しました。

そして、最終的には、多くのものをシンプルに、しかし効果的に表現することができました。

兵士の手には折れた剣と花が握られている。

母親は死んだ我が子を抱いて泣いている。

馬は横腹を大きく切られて悲鳴を上げている。

窓からランプを差し出している女性。

cruel(形)〈人・行為など〉(人に苦痛を与えても平気でいる,という意味で)残酷な,冷酷な,無慈悲な,じゃけんな
protest(動)《主に米国で用いられる》〈決議などに〉異議を申し立てる,抗議する
tragedy(名)悲劇
sketch(名)スケッチ,写生(図), 下絵,素描; 見取り図,略図
canvas(名)画布,カンバス
object(名)(知覚できる)物,物体
simply(副)簡単に,平易に; 単純に
effectively(副)有効に; 効果的に
sword(名)剣,刀
lamp(名)(電気・ガス・灯油などの)ランプ,明かり; 電気スタンド

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1936年以降、スペインはフランコ将軍の支配下に置かれました。

ピカソは、スペインで民主主義が回復するまで、ゲルニカを展示することを望みませんでした。

そこで、万国博覧会の後、ノルウェー、イギリス、アメリカで展示されました。

1939年にニューヨークの美術館に預けられることになりました。

ピカソの死から2年後の1975年、スペインは再び民主主義国家となりました。

最終的に、絵画は1981年にマドリードに移されました。

多くのスペイン人に歓迎され、展覧会初日には4,000人以上の人が見に来ました。

ピカソ自身はというと、スペインに戻ることはありませんでした。

現在、ゲルニカは反戦のシンボルとなっています。

ゲルニカで命を奪われた人々の大きな悲しみを思い起こさせます。

exhibit(動)〔…に〕展示する,陳列する
democracy(名)民主主義
restore(動)〔…に〕返す,返還する
charge(名) 預かりもの
democratic(形)民主主義の; 民主政治の
transfer(動)〈…を〉〔…から〕〔…へ〕移す,動かす,運ぶ,渡す; 〈人を〉〔…から〕〔…へ〕転任させる,転校させる
exhibition(名)展覧会,展示会,ショー,共進会,博覧会