Lesson7 “Letters from a Battlefield”

Part1

我が家の防空壕に入るときは、中がとても寒いので、小型のフットウォーマーか湯たんぽを用意して体を温める必要があります。

また、毛布も必要です。

マットも必ず持っていくようにしてください。

(1944年12月8日)

冬の寒さと水のせいで、手が冷えてひび割れてしまうなんて、本当にかわいそうです。

水を使うときは徹底的に手を乾かして、温かくなるまでこすってください。

(1944年12月11日)

これは、第2次世界大戦中に東京にいた夫が妻に宛てた手紙です。

この手紙を書いたのは、硫黄島司令官の栗林忠道中将です。

彼は米軍によって火の海のように焼かれた戦場からこの手紙を書きました。

硫黄島は、東京から南へ1,250km(キロメートル)の、23.73km(平方キロメートル)という小さく平坦な島です。

川も池もない不毛の島です。

しかし、第二次世界大戦で最も激戦となった戦いのひとつが行われた場所でもあります。

hot-water (名)湯
air-raid (名)空襲
blanket (名)毛布,ブランケット
matting (名)マット,畳,ござ
cracked (形)砕けた,砕いた; ひびの入った; 割れた
thoroughly (副)すっかり,徹底的に
rub (動)〈もの・ものの表面を〉手などでこする,摩擦する
lieutenant general (名)【米陸空軍・海兵隊・英陸軍】 中将
commander (名)指揮者,司令官
battlefield (名)戦場
barren (形)〈土地が〉不毛の,作物のできない
hard-fought (形) 大きな努力を必要とするさま

Part2

硫黄島は、日米双方にとって戦争で非常に重要な役割を果たしていました。

アメリカにとっては、日本の都市を大規模に攻撃するための重要な中継地点でした。

一方、日本にとっては、硫黄島を失うことは本土を守る基地を失うことを意味した。

それは、非武装の市民が銃火器にさらされることにつながります。

硫黄島での戦闘に参加した日本兵は20,000人、アメリカ兵は60,000人でした。

誰がこの戦況を分析しても、その差は歴然としており、日本が勝利する可能性はほとんどありませんでした。

日本軍が硫黄島に派遣されたのは、アメリカ軍の日本本土への攻撃を少しでも遅らせることだけが目的でした。

アメリカ側は、日本軍を5日以内に打ち負かすと確信していました。

しかし、彼らの予想に反して戦闘は1ヶ月以上も続きました。

そこでのアメリカ軍の死傷者は約28,000人でした。

これは、第二次世界大戦で米軍の損害が日本軍を上回った唯一のケースでした。

significant (形)重要な,意義深い
mainland (名) (付近の島や半島と区別して)本土
exposure (名)さらす[さらされる]こと; 野ざらし
unarmed (形)武器を帯びない,武装しない; 非武装の
citizen (名)公民,国民,人民
gunshot (名)発射された弾丸
whoever (代) (…する)だれでも,どんな人でも
obvious (形)明らかな,明白な; すぐにわかる,理解しやすい
troop (名)軍隊,軍勢,部隊
sole (形)ただひとつの,たった一人の
defeat (動)〈敵・相手を〉破る,負かす
contrary (形)〔…に〕反して,〔…と〕相いれないで
expectation (名)予期,予想,期待
casualty (名)(事故による)負傷者,死者
exceed (動)〈限度・権限・予想などを〉超える

Part3

日本側を率いて戦ったのは、冒頭の手紙を書いた栗林です。

彼は自分の使命をはっきりと理解し、兵士たちとともに硫黄島で死ぬ覚悟をしていました。

それはすべて、自分たちの戦いが、自分たちの家族を含む本土の非武装の人々の死を遅らせることを願ってのことでした。

栗林は硫黄島の地理的特徴を分析し、地下シェルターに隠れて米軍とゲリラ戦をすることを決めました。

栗林は、この作戦が硫黄島での日本の敗戦を遅らせ、米軍の本土攻撃を遅らせることになると確信していました。

そのためには、栗林の兵士たちは地面を掘り、約500の地下壕のネットワークを作る必要がありました。

しかし、そこを掘るのは困難を極めました。

爆撃に耐えられるだけの強度を持つ壕を作るには、地表から15メートルから20メートル掘り下げる必要がありました。

イオウ(硫黄)ガスに苦しみ、60℃にもなる耐え難い暑さに苦しみ、1人5分から10分という短い時間を交代で掘らなければなりませんでした。

さらに、硫黄島では飲める水が十分ではありませんでした。

兵士たちは1日に1本しか水を飲むことができませんでした。

しかし、栗林はどんなに大変な作業でも決して投げ出しませんでした。

prepared (形)用意された
fighting (名) 戦い,戦闘; 論争; 格闘,闘争
geographical (形) 地理学(上)の,地理(学)的な
guerilla (名)ゲリラ兵,不正規兵
underground (形)地下の
strategy (名) 戦略
dig (動)(道具・手などを使って)掘る; 掘り起こす[返す]
sulfur (名)硫黄(いおう) 《非金属元素; 記号 S》
unbearable (形)耐えられない,我慢できない; 〔…に〕耐えられなくて
heat (名)暑さ,暑気
drinkable (形)飲める,飲用に適する
abandon (動)(中途で)やめる

Part4

栗林は非常に厳格でしたが、別の一面も持っていました。

彼は兵士たちに家族に手紙を書くことを奨励したと言われています。

以下は、そのような兵士から妻への手紙の一例です。

「夜、少しリラックスできるときはいつも、子供たちがとてもお腹を空かせていて、食事を口に運んでいる姿を想像します。

私は時々、ノブの前に座っているような気がして、話しかけたいという衝動に駆られます。

ジュンとヒロからの手紙を読むたびに、彼らの字はとても上手だと思います。

子供たちへの愛情に目がくらんでいるのはわかります。

彼らの手紙が手元にあるだけで、胸が熱くなります。」

残念ながら、このような手紙の配達は1945年2月11日に停止されました。

状況は緊迫し、米軍は硫黄島に上陸しようとしていました。

非武装の飛行機が本土に手紙を持ち帰るのは危険すぎます。

2月19日、米軍は硫黄島への全面侵攻を開始しました。

栗林の兵士たちは、地下の壕から1ヶ月間、最後まで懸命に戦いました。

栗林の2万人の兵力はほぼ全滅しました。

それから約5ヵ月後、第二次世界大戦は終結しました。

shovel (動)〈…を〉〔…に〕無造作に[どんどん]ほうり込む
urge (動)(ある方向に)駆り立てる,追い立てる,急がせる
handwriting (名)手書き,肉筆
hearten (動)〈…に〉元気をつける,〈…を〉鼓舞する
delivery (名)(手紙・品物などの)配達,…便
suspend (動)〈判断・決定・刑罰などを〉しばらく見合わせる,保留する,延期する
tense (形)〈神経・感情など〉張り詰めた; 〈人が〉緊張した
invasion (名)侵入,侵略
totally (副)まったく,すっかり

Part5

戦後、日本兵の遺品をアメリカから家族に返すために、多くの努力がなされてきました。

米兵が硫黄島から持ち出したものには、ノートや日記、家族の写真などがありました。

その中には、日本兵の別れの手紙と思われるものもありました。

それが書かれた時、飛行機はもう兵士の家族に届けることができませんでした。

そのような状況を知りながら、兵士たちは手紙にどのような思いを込めようとしたのでしょうか?

以下はそのような手紙のひとつです。

残念ながら、書いた人の家族はまだ見つかっていません。

「父、母、トラオ、ケイ、エイゾウ、タダシ、オオタカ、スエハル、タツミ、フミコ、そしてタツコ。

皆様のご健康とご長寿をお祈り申し上げます。

お父様、お母様、どうぞお元気でお過ごしください。

ただひとつ残念なのは、これまで皆さんが苦労して建てた立派な新居を見ることができなかったことです。

それ以外に心残りはありません。」

regret (動)〈すでに起こったこと・過ちなどを〉後悔する,悔しがる; 〈人の不幸などを〉悲しむ
splendid (形)すばらしい,すてきな