Part1
(1)
カンボジアの北西には緑豊かな森の中に伝統的な高床式の家が集まった村があります。
上空は明るい青色で、白い雲がいくつかあります。
家の中では、女性が、赤ちゃんがハンモックで寝ている間に糸を紡いで織り、子供が宿題をしています。
近くの畑で野菜を育てる男性も中にはいます。
それはカンボジア各地でみられる光景のようですが、現実はそれほど単純ではありません。
(2)
これは特別な絹の村です。
2002年に“森の知恵”プロジェクトの一環として、森本喜久男が始めました。
約300人の様々な年齢や経歴の人々がこの新しいタイプの村で一緒に働いています。
カンボジアシルクを作るために必要な伝統的な技術や生の素材を復活させるために、みんな自分の役割を果たします。
このカラフルな柄の生地はかつて東南アジアで最高のものとしてみなされていました。
(3)
どうして“森の知恵”プロジェクトと呼ばれるのでしょうか?
その答えは単純です。
これは森が伝統的な絹織物に必要なものをすべて含んでおり、桑の木はカイコにえさを与え、木は織機や道具を作るための木材、植物や昆虫が染料を作り出します。
村への分かれ道にある看板には、“道具を気にしないのは、仕事を気にしない。森を気にしないのは、人生を気にしない”と書いています。
これが計画の背後にある哲学です。
Part2
(1)
1994年、森本さんはユネスコからの委託を受け、カンボジアで伝統的な製織技術がまだ使われているかどうか調べました。
そこでの長い内戦の後、そのような伝統が完全に失われているのではないかと恐れられていました。
森本さんは、若いときに友禅着物の生地の染色や絵付けを学んでいて、その仕事には理想的な人でした。
1980年代にタイの難民キャンプでボランティアして以来、彼は伝統的な東南アジアのシルクにも魅了されていました。
(3)
森本さんは調査中、織機が廃止した絹の村を見つけました。
ほかの村はカイコガいませんでした。
爆弾により森全体が破壊されていました。
製織技術を覚えている家族やさらには村を見つけましたが、彼らはもはや伝統的な方法で高品質のシルクを製織する機械や生の素材を持っていませんでした。
破壊者たちは彼らに代わりに安価のシルクを生産するよう強制していました。
その結果、女性はしばしば安い人工的な染料と糸を使って収支を合わせなければなりませんでした。
(3)
森本さんはこれらの織物師の古いシルクの生地を見せました。
その後、彼は似ているものを作ることに挑戦することを提案し、彼らが受け取る以上の支払いをすることを申し出ました。
特に織り手であるオムチア(老婆)は、森本さんの伝統と織物への愛を認めました。
森本さんは彼女の知恵と織物の知識に頼るようになり、昔からの技術について尋ねることもありました。
1996年に、森本さんはNGOとしてクメール伝統織物研究所(IKTT)をたて、4年後に森の知恵計画のための土地を買いました。
Part3
(1)
森の知恵での伝統的なシルクの生産は長く複雑です。
桑の苗の植付からバナナの灰の製造までどの工程でも手作業で行われます。
働き手たちは24グループに分けられ、それぞれが専攻しています。
すべてが平等に扱われ、どの部分の過程も必要不可欠です。
(2)
カンボジアの伝統によると、村人たちは建物の中にカイコが繭を作るために枝をかけます。
繭をゆでたら、絹糸をほどいていきます。
その後乾燥させます。
次に、糸はほかのいくつかのステップを経て、バナナの灰と水の混合物で沸騰させ、たんぱく質のコーティングを取り除きます。
その後、染料を使い、着色する準備が整い、それらのすべては自然の材料からつくられています。
例えば、鮮やかな赤色は、ラック虫の巣から来ていて、巣を分解して水と混ざったものからできています。
(3)
カンボジアのシルクの複雑なパターンを作るために、いくつかの糸の部分はバナナの繊維で結ばれています。
これは、染料が繊維に到達するのを防ぎます。
結束と染色の複雑な過程が何度も繰り返され、多色の糸が生産されます。
染色と乾燥の後、糸は織機にかけられ、のりが効いてきます。
最終的に、織物師は一日におよそ10~15センチメートルの生地を作り出す準備ができます。
大きな壁かけを完成させるために一年かかるのは驚くことじゃありません!
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